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先生作の縄文土器 [今迄の事]

 先日、茅野市役所に所用で立ち寄った際、一階のロビーで、「縄文土器作り教室」に初めて参加した時、製作指導をして頂いた先生が作られ、市に寄贈された大型の縄文土器を、改めて鑑賞してきました。
  
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<報告書に、口径47.5㎝ 残存器高58.5㎝、井戸尻期に属する。とあり、ほぼ同寸に作られたています。>

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<施文をアップした写真>

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<キャプションに、次のように記されていました。>

      文中期深鉢(遠藤昭男作)
    この作品は尖石考古館の土器教室をご指導頂いている遠藤昭男先生から寄贈されたも
   のです。 中央道建設工事に伴う1976年の発掘調査で、判の木山東遺跡(茅野市金沢)
   から出土した縄文中期(約4500年前)の土器を正確に再現したものです。実物は八ヶ岳総
   合博物館に展示しています。
    先生は見るだけではなく、実際にふれて鑑賞してもらうことを希望しています。どうぞ、じか
   にふれて縄文の造形を感じてください。

 先生が土器作りを始められた頃はまだ、縄文土器作りに関する情報が少なく、粘土の調合に始まり、成形、整形、施文、野焼きと全ての工程を、苦労して研究されたときいておりますが、縄文土器作り教室は、その経験をもとに手を取って説明され本当に中身のある内容でした。

黒曜石が敲けたからと言って [今迄の事]

 「やっため考古」の基礎となっている言葉に、「黒曜石が敲けたからと言って、石器が作れると思うなよ。」がある。

 それは、黒曜石の敲き方を教えて頂いて間もなく、YM先生が、薄緑色の緻密で硬そうな石を差し出して、「佐久の知り合いから貰った珪質頁岩だ、敲いてみろ」と差し出された。しかし、知識も自信も全くなく「こんな硬そうな石はまだ敲けない」とお断りしたが、先生は敲けない事を承知の上で、「とにかく敲いてみろ」と手渡された時に言われた言葉である。
 今でも記憶に新しいが、その時は、言葉の意味を全く理解できなかった。

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 <頂いた時に敲いた珪質頁岩の剥片ではなく砕石。>

 その後、土器や石器を少し作れるようになった時、舞い上がり、どうだ、どうだと有頂天になったことがある。
 今思えば恥ずかしいが、これを、「他人の知恵を借りて、少し物作りが出来たからと、自慢するようなみっともない真似はよせ」、一回や二回作っただけで、その土器や石器を理解する事は難しく、うわべすらまねる事ができない。
 縄文人は色々な粘土を使って土器を作り、旧石器人や縄文人は、色々な石材を使って石器を作っている。産地が異なれば、粘土は扱いが異なるように、黒曜石は黒曜石の難しさ、頁岩は頁岩の難さや課題がある事を知ることが大切である。
 考古学的な追及でも、美術的な追及でも、奥が深くこれで終わりのない、いわゆるエンドレスの世界である。少しできたからと言って、慢心するなと教えて頂いたと今は解釈している。

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 <何年か後に、残っていた剥片を加工して、珪質頁岩の難しさを改めて感じた。>

黒曜石製石器のメタボ対策 [今迄の事]

 失敗を重ねながら、自分流の石器作りを続けていたが、どう工夫しても、厚くてコロンとした尖頭器や石鏃しか作れないという壁にぶつかた。今でいう「メタボ」である。メタボの解消法、つまり、薄く加工する方法を文献などを調べても解決の糸口が見つからなかった。

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<作り始めたころの尖頭器>

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<平面の形はある程度作る事が出来た>
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<横から見ると、やはりメタボ>

 02年、岩宿文化資料館の企画展「最古の磨製石器」を見学した時、友の会活動の一つに「石器作りサークル」があり、第3日曜に開かれていることを知った。

 すぐにでも参加したかったが、仕事やその他の関係で都合がつかず、1年後「リタイア」した事をきっかけに、友の会の、石器作りサークルに参加した。
 会の人達に会うまでは、雰囲気がわからず心配の部分もあったが、よそ者扱いをせず、皆さんフレンドリーで暖かく迎えてくれた。

 石器作りは、人の頭ほどの黒曜石から、石器の素材を取る、荒割の作業から始まり、大きな原石を、見事に割り取る作業を目にして感動した。

 どれでも好きな剥片を選んでいいよと言われ、皆と一緒に、割り取った剥片をバンバン敲とき始めた所へ、石器作りの指導に、T・M先生がおみえになり、尖頭器を作りながら要点の説明をして頂いたあと、友の会の石器作りが再開された。

 少し離れた場所で石器作りを続けて居られた先生が、自己流でヤミクモ、バンバン敲いている、新顔の私を見ておられ、「あなたは、今何をしようとしたか、何も考えず無闇に敲いても石器は出来ない。」と次の6項目を繰り返すことが重要であると丁寧に説明していただいた。

それは、
①希望する形を頭に描く。 : 完成図
②加工のプランを立てる。 : どこからどのように剥ぎぎ取るか、手順と量を決める。
③打面を調整する。 : プランが成立する打面を用意する(作る)。
④加工する。 : 工具を選択し、打撃の方向と強さを考えて敲く。
⑤結果を観察する。 : 成功した理由、失敗した理由を考える。
⑥再度加工する。 : 反省点を生かして②に戻る。
であったが、レベルが高すぎ、色々工夫して敲いてみたがその日は全く理解できなかった。

 その後、指摘された事項を意識しながら加工した結果、行き詰っていた剥離技術が、少しづつ前進し、【目的→プラン→実施→観察→反省→対策】 の重要性を今でも感じながら敲いている。

黒曜石を始めて敲いた場所 [今迄の事]

 子供の頃から「矢尻」を作りたいと思っていた。しかし、「土器作り教室」ような、石器加工の初歩的な知識を得られる教室は開かれておらず、黒曜石や加工の方法をどこで調べたら良いか全くわからなかった。

 石器作りの夢がかなったのは、思わぬ場所であった。
 それは、93年に行われた発掘調査の現場に、発掘調査はもちろん、土器の復元、土器作り、石器作り、など考古学全般にわたって精通しておられる、YM先生が参加しておられた。
 タイミング良く、調査員の一人が、山に遊びにいったら「黒曜石」が落ちていたと握りこぶしより大きな原石を現場に持ってきた。休み時間に色々話している中で、拾ってきた黒曜石を加工してみたいという話が出され、持参した本人も敲いてみたい希望があり、昼休み時間を利用して「青空石器作り教室」が開かれることになった。
 数日後、先生が、加工の道具を一式持参され、黒曜石加工の基本を教えると、石と鹿の角でパンパンと敲いて、尖頭器を作りながら、これが割れ円錐、これが剥片剥離は交互剥離が基本だと、黒曜石の敲き方を一通り説明された。
 やってみろと言われ、指導を受けながら敲いてみたものの、黒曜石は砕けるだけで石器らしきもの、いや剥片すら全く剥げなかった。
 何日間か「青空石器作り教室」は開かれ、一生懸命練習したがやはり無理だった。

 しかし、先生は「基本は教えた、あとは練習して会得する以外に方法は無い。そうすればある時、突然ひらめく」と話されて教室は終わった。

 その後、黒曜石を拾った場所を聞いて拾いに行ったが、そこには大きな黒曜石は無く、握りこぶしより少し小さい石を何個か拾って来て練習をした。

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<上の写真はその時採取した残りの小さな原石と、剥離がわかってから加工した剥片>

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<2枚の剥片をアップした写真、不純物と節理が見える 「青空石器作り教室」の時は、思う通りに割れないのは黒曜石が悪いからだと硬く信じていた。しかし、少し加工出来るようになって考えると、斑晶や節理が入っているものの、石器作りができない原石ではなく、単に腕が悪かっただけである事が後でわかった。>

 まだ右も左もわからない段階で、「後は自分で苦労して覚えろ」と教室が終わり、その後、手探り状態が長く続き、失敗の繰り返しであった。しかし、成功するテクニックを教えれもらえなかったことが、反対に、石器の加工を理解するために必要な通り道であったと、今は、感謝してる。

縄文土器作り教室に参加(2) [今迄の事]

 土器作りに参加したばかりで、考古の知識が全くないズブの素人に、この、土器片を見て、土器の形・部位・形式名がわかるようになれ。この縄文は、充填縄文か、擦り消し縄文か良く観察しろ。また、目的意識を持ち、土器を良く観察して忠実に模倣し、完成後に比較して課題が無くなるまで作れ。この基本から外れたら、考古館で土器を作る意味はなく、市中の「陶芸教室」に行け。
 つまり、市販の粘土を使い、外観を空想でまねて、炉で焼き、玄関が一杯になったらお仕舞の、何でもありの土器作りではなく、本物を良く観察して忠実に模倣することが大切であると教えられた。

 本物の土器をモデルにつかった「縄文土器作り教室」の内容は下記のようであった。
1.文化財とは何か、文化財の大切さとは何かを知れ。
2.モデル土器は、世界に一つしか無い、絶対にさわるな。粘土のトビハネに気を付けろ。
3.土器の形、文様、装飾の美しさを再現したい。施文具を復元したい。土器で煮炊きをしてみたい。など、目的をもって土器作りをすること。
4.忠実に模倣するためには、正確な観察が基本である。
①器形:底径・胴径・口縁の径・器壁の厚さ
②文様と施文法:文様の位置・文様の構成・施文の順序・施文具
③成形と整形法:積み上げ法・整形法・ナデ
5.製作環境:気温・湿度・太陽光線・風等を考えて作れ。
6.材料と道具:縄文人が使えた物に限定すること。やむを得ず、プラスチックや金属製品を使用する場合は、本当は何であったかを考えながら作れ。但し、回転台は論外である。


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<土器片を見て、土器全体を想像しろと言われた。>

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<イメージが少し異なるが、上の土器片と同じ曽利式土器>


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<縄文の施文方が、擦り消し縄文か、充填縄文か良く観察しろと言われた。>

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縄文土器作り教室に参加(1) [今迄の事]

 小学5年だった息子に出された「縄文土器と弥生土器の違いは何か」という宿題に答えられなかった。
 タイミングよく考古館で、87年度の「縄文土器作り教室」の参加者を保護者同伴で募集しており、教えていただこうと参加した事が「土器作り」のきっかけとなった。
 主役の息子は2年で足を洗ってしまったが、介添え役で気楽に付いて行った親は、縄文人が作った土器なんか簡単だと、なめてかかったものの想像以上に難しく、積み上げの途中で潰れてしまうなど、縄文人の知恵に驚き、悔しさと納得するまで止められないという、オヤジから受け継いだDNAが働いて、ミイラ取りがミイラになってしまった。

 縄文土器作り教室は、9時開講、午後4時30分迄が2日間と、野焼きの計3日間開かれた。

1日目
 ・学芸員の講義 「縄文土器について、その特徴など」
 ・製作指導の先生の講義 「縄文土器の製作について」
 ・土器作り ①粘土に山砂を練り込む。②ねかし。③土器のスケッチ。④底部の成形

2日目
 ・土器作り ④土器の成形 ⑤整形 ⑥施文具作り ⑦施文
 
3日目
 ・野焼き (乾燥後、与助尾根で行う。)

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<初めて息子が作った土器>

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<土器の内側>

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<2年目に作った有効鍔付土器>

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<土器の内側>


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土器作り教室に参加するまで(2) [今迄の事]

職人気質と多芸はオヤジのDNA
オヤジは、信州鋸の職人で、損得抜きで、自分が納得するまでやらないと気が済まないという職人気質を見て育った。オヤジは、本業以外に、田畑の耕作、山の手入れや炭焼きは当たり前の事として、その他、大工仕事、土壁塗り、コンクリートの工事、屋根の修理、石垣積み、植木の手入れなど器用にこなし、手伝わされた。その時は嫌だったが、大人になって生業にも、土器作りや石器作りにも役立っている事は多い。何にでもやりたがり、しつこくやるのは、オヤジのDNAを引き継ぎでいるためかもしれない。

心残り オヤジから教えてもらっておけば良かったと、悔やんでいる事がある。それは「鍛接」である。鉄と鉄をつなぐとき、鉄を重ねてオキの中に入れて加熱し、火色を見計らって、金敷(かなしき)の上に出して叩いて繋ぐ方法である。この作業で難しいのは、鉄が溶ける寸前まで加熱することである。温度が足りないとつながらないし、高すぎると燃えてしまう。温度計は無く、適切な指導と経験しか習得する方法がない職人技である。
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<赤錆びで欠けているが、オヤジが作った両刃鋸。刃の部分の鋼と柄の部分の軟鉄を鍛接でつないである>

生業 鉄に触れることが好きで、仕様書や図面を見て、工作機械を組み立てて動かす仕事をやっていた。日本工業規格をもとに、長さや重さなどは数値で表し、誰でも理解できる「用語」を使い、誰でも同じ物を作れる「図面」に囲まれて働いていた。長さの最小単位はミクロンであった。

考古 オヤジが骨董品を集めていたことや、先祖について調べていたことから古い物には興味があった。しかし、「縄文土器作り教室」に参加するまでは、考古の知識は全くなかった。考古の色々な事を調べる中で、同じ事を表す「用語」が複数存在することや、物の量を表す「夥しく」や「累々と」など抽象的な表現をどのように理解すれば良いか戸惑いを感じた。

生業と博物館 試運転や修理に出張した時、余暇を利用して、最寄りの博物館を見学した。倉敷考古館でみた南米の土器や、岡山県立博物館の大きな甕棺が印象に残っている。
 岡山に出張した時、昼休みの暇つぶしに、裏山にあった神社を見に行き、畑の石垣の上に、灰色のきたない瀬戸物らしきものが捨ててあるのが見えた。少し離れた所で、おばあさんが畑を耕しており、これはなんですかと聞いたら、「耕したら出てきた、欲しかったらあげる」と言われ頂いてきた。後日調べた結果、瀬戸物ではなく須恵器であった。

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<頂いてきたほぼ完形の須恵器>

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土器作り教室に参加するまで(1) [今迄の事]

なぜ、ダメと言われていることを試すようになったのか、何回かに分けてまとめてみたい。

子供の頃 八ケ岳西麓には遺跡が多く、学校の帰りに、畑でやじりを拾い、矢の根石(黒曜石)の輝きと、カッコ良さに不思議な魅力を感じ「いつか作ってみたい」との思いを心の隅にずっと持ち続けていた。
 しかし、破片しか見つからなかった土器は、作ってみたいという思いは全く無かった。
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<子供の頃拾った矢の根石は行方不明、上の写真はその後に拾ったもの>

キレイな石 標高1000mに近い生家の周りは、八ヶ岳から火砕流や土石流で運ばれ、鉄分の多い地下水に浸り、赤茶色に変色した石しか無く、石とは赤茶色の物であると信じていた。
赤茶色が取れた安山岩に混じり、チャート・硬砂岩・石灰岩・蛇紋岩・結晶片岩、などのキレイな石が、6~7キロ先の「御柱の川越し」で有名な「宮川」にがある事を知ったのはずっと後のことである。
 そんな関係から、この歳になっても、キレイな石のある川原や海岸へ行くと、1時間でも2時間でも石と話しながら楽しんでいる。今、困っていることは、石器作りを始めてから、石器の石材、敲き石、擦り石、砥石などが仲間入りして、持ちかえりが大変になったことである。
また、土器作りの粘土にも興味があり、車で出掛けた時など、切通しや崖を脇見して、「かあナビ」にあぶないといつも注意されている。

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<耕作に邪魔と、田んぼから出して積み上げられた赤茶色の石と、八ヶ岳>

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<御柱の曳航時間が延び、照明に照らされて、雪解け水の中で行われた、宮川の川越し>

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<宮川のチャート 亀裂が入っており、石器の素材になるチャートをまだ拾ったことが無い>

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<チャートを、宮川で探していた時見つけた緑色のキレイな蛇紋岩>

黒曜石で自己紹介 [今迄の事]

 プロフィールの絵が無く、少し寂しかったので、自己紹介を兼ねて黒曜石を顔らしく並べてみました。
 鼻として、三角鏃を置いてみたが、ヘソも鼻も曲がっている自分にふさわしくなくいと、釣り針を作りなおしました。

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 「黒い堅物」になってしまったが、実物は、髪は白く、軟らかい粘土もやっています。

 なお、釣り針型は長脚鏃の加工技術と同じで、「打面調整」が有効な、外側縁加工、「やっため語」でいう、「外側加圧法」(そとがわかあつほう)に、円形の内側縁であるため「打面調整」が全くできない、「内側加圧法」(うちがわかあつほう)を加えないと加工できないことの詳細は、長くなるので後日改めて書くことに致します。


黒曜石を敲き、粘土を捏ねる、自分は何者か [今迄の事]

 ブログを始めようとした時、考古の理論から少し離れても、考古遺物に「そっくりな物を作ることが出来る方法が正しい」として、黒曜石を敲き、粘土を捏ねている自分は、考古学の理論に基づいた「実験考古学」と少しニュアンスが異なり、いったい何者とすれば良いか。また、ブログのタイトルはどうする、何を書けば良いか。という三つの壁に突き当り、自分のいままでを振り返りながら、結論らしきものを出した経緯をまとめてみた。

自分はいったい何者か  「遺された物・古い技術・物を作る・工人」を「キーワード」に、「最後の宮大工」と言われた、法隆寺の故西岡常一棟梁が、寺社建立の経緯を記した「木に学べ」に共通点をみつけ、寺社の建物を歴史学的に研究する「建築史学者」が、「考古学者」。寺社の建物に「参拝する人」が、「考古学ファン」。寺社を昔のままに作ることを目的する「宮大工」が、「自分」であるとすればらどうかとかんがえた。しかし、「宮大工」はプロ、それに対して、機械屋上がりで、考古学を正式に学んだ経験は無く、物作りを楽しんでいるだけの自分が「宮大工」役は無理、せいぜい「日曜大工」ならぬ「日曜考古屋」であると位置づけた。実は、リタイアして、毎日が日曜日の身となり、「日曜考古屋」ではなく、「毎日考古屋」になっている。

ブログのタイトル タイトルを、「やっため考古」とした。その理由は、石器の先生から、「やってもみないで、わかったような顔をするな、やってみてから納得しろ」、また、「見た目」で言うな、「やってみた目でものを言え」とも言われた。事実、予想に反したことが幾度となくあり、「やって見た目の考古学」としたかったが、少し長いので「やっため考古」と略した。

ブログで何を書けば良いか  師の教えに、ブログのタイトルのように、「やってみて初めてわかることは多い」があり、多くの人に、「そっくりな物作り」を体験してもらいたいという思いがある。しかし、土器作りを20数年、石器作りを10数年やって、ようやく入り口にたどり着いた程度。入り口までが長すぎ、現状では気軽に勧めることができない。その原因として、形ある物を作ろうとする時、知っている人から見れば何でもないようなことが、知らない人には、非常に大切な事がわからない。例えば、「黒曜石」や「敲き石」を準備する、とは書かれているが、石の大きさ、重さ、形、色、入手方法など具体的な説明が無いく、文献等を調べてもこの答えが見つからない。そこで、やみくもに体当たりして、「失敗の中から探り出す」を、理解できるまで繰り返して時間を要した。これは、道具類や加工方法など全般に共通しする問題であった。
 そこで、この問題を解消する方法の一つとして、手を取って教えても難しい「加工技術」は、後回しにして、自分が経験した中から、準備の知識・初歩的な加工知識・成功例・失敗談などを、誰でも同じように理解できる言や、図面・数値・写真などを用いて、八ヶ岳西麓の風景をまじえながら、書くことにした。

「やっため考古」をお読み頂くに際してのお願い 長い年月で、お聞きした事か、自分で考えた事か、わからなくなっている事が多々あり、無断で諸先輩のご意見を、お借りしてしまう事を懸念しています。もし、お気づきのことが有りましたらぜひ教えてください。なお、「自分が体験していないことは、言わない、書かない」を原則としており、体験談であると理解してお許し頂ければ幸いです。

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