黒曜石を敲き、粘土を捏ねる、自分は何者か [今迄の事]

 ブログを始めようとした時、考古の理論から少し離れても、考古遺物に「そっくりな物を作ることが出来る方法が正しい」として、黒曜石を敲き、粘土を捏ねている自分は、考古学の理論に基づいた「実験考古学」と少しニュアンスが異なり、いったい何者とすれば良いか。また、ブログのタイトルはどうする、何を書けば良いか。という三つの壁に突き当り、自分のいままでを振り返りながら、結論らしきものを出した経緯をまとめてみた。

自分はいったい何者か  「遺された物・古い技術・物を作る・工人」を「キーワード」に、「最後の宮大工」と言われた、法隆寺の故西岡常一棟梁が、寺社建立の経緯を記した「木に学べ」に共通点をみつけ、寺社の建物を歴史学的に研究する「建築史学者」が、「考古学者」。寺社の建物に「参拝する人」が、「考古学ファン」。寺社を昔のままに作ることを目的する「宮大工」が、「自分」であるとすればらどうかとかんがえた。しかし、「宮大工」はプロ、それに対して、機械屋上がりで、考古学を正式に学んだ経験は無く、物作りを楽しんでいるだけの自分が「宮大工」役は無理、せいぜい「日曜大工」ならぬ「日曜考古屋」であると位置づけた。実は、リタイアして、毎日が日曜日の身となり、「日曜考古屋」ではなく、「毎日考古屋」になっている。

ブログのタイトル タイトルを、「やっため考古」とした。その理由は、石器の先生から、「やってもみないで、わかったような顔をするな、やってみてから納得しろ」、また、「見た目」で言うな、「やってみた目でものを言え」とも言われた。事実、予想に反したことが幾度となくあり、「やって見た目の考古学」としたかったが、少し長いので「やっため考古」と略した。

ブログで何を書けば良いか  師の教えに、ブログのタイトルのように、「やってみて初めてわかることは多い」があり、多くの人に、「そっくりな物作り」を体験してもらいたいという思いがある。しかし、土器作りを20数年、石器作りを10数年やって、ようやく入り口にたどり着いた程度。入り口までが長すぎ、現状では気軽に勧めることができない。その原因として、形ある物を作ろうとする時、知っている人から見れば何でもないようなことが、知らない人には、非常に大切な事がわからない。例えば、「黒曜石」や「敲き石」を準備する、とは書かれているが、石の大きさ、重さ、形、色、入手方法など具体的な説明が無いく、文献等を調べてもこの答えが見つからない。そこで、やみくもに体当たりして、「失敗の中から探り出す」を、理解できるまで繰り返して時間を要した。これは、道具類や加工方法など全般に共通しする問題であった。
 そこで、この問題を解消する方法の一つとして、手を取って教えても難しい「加工技術」は、後回しにして、自分が経験した中から、準備の知識・初歩的な加工知識・成功例・失敗談などを、誰でも同じように理解できる言や、図面・数値・写真などを用いて、八ヶ岳西麓の風景をまじえながら、書くことにした。

「やっため考古」をお読み頂くに際してのお願い 長い年月で、お聞きした事か、自分で考えた事か、わからなくなっている事が多々あり、無断で諸先輩のご意見を、お借りしてしまう事を懸念しています。もし、お気づきのことが有りましたらぜひ教えてください。なお、「自分が体験していないことは、言わない、書かない」を原則としており、体験談であると理解してお許し頂ければ幸いです。

参考文献 「木に学べ」
  
  著者 西岡 常一
  1988年3月1日初版発行
  発行所 小学館

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