黒曜石を始めて敲いた場所 [今迄の事]

 子供の頃から「矢尻」を作りたいと思っていた。しかし、「土器作り教室」ような、石器加工の初歩的な知識を得られる教室は開かれておらず、黒曜石や加工の方法をどこで調べたら良いか全くわからなかった。

 石器作りの夢がかなったのは、思わぬ場所であった。
 それは、93年に行われた発掘調査の現場に、発掘調査はもちろん、土器の復元、土器作り、石器作り、など考古学全般にわたって精通しておられる、YM先生が参加しておられた。
 タイミング良く、調査員の一人が、山に遊びにいったら「黒曜石」が落ちていたと握りこぶしより大きな原石を現場に持ってきた。休み時間に色々話している中で、拾ってきた黒曜石を加工してみたいという話が出され、持参した本人も敲いてみたい希望があり、昼休み時間を利用して「青空石器作り教室」が開かれることになった。
 数日後、先生が、加工の道具を一式持参され、黒曜石加工の基本を教えると、石と鹿の角でパンパンと敲いて、尖頭器を作りながら、これが割れ円錐、これが剥片剥離は交互剥離が基本だと、黒曜石の敲き方を一通り説明された。
 やってみろと言われ、指導を受けながら敲いてみたものの、黒曜石は砕けるだけで石器らしきもの、いや剥片すら全く剥げなかった。
 何日間か「青空石器作り教室」は開かれ、一生懸命練習したがやはり無理だった。

 しかし、先生は「基本は教えた、あとは練習して会得する以外に方法は無い。そうすればある時、突然ひらめく」と話されて教室は終わった。

 その後、黒曜石を拾った場所を聞いて拾いに行ったが、そこには大きな黒曜石は無く、握りこぶしより少し小さい石を何個か拾って来て練習をした。

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<上の写真はその時採取した残りの小さな原石と、剥離がわかってから加工した剥片>

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<2枚の剥片をアップした写真、不純物と節理が見える 「青空石器作り教室」の時は、思う通りに割れないのは黒曜石が悪いからだと硬く信じていた。しかし、少し加工出来るようになって考えると、斑晶や節理が入っているものの、石器作りができない原石ではなく、単に腕が悪かっただけである事が後でわかった。>

 まだ右も左もわからない段階で、「後は自分で苦労して覚えろ」と教室が終わり、その後、手探り状態が長く続き、失敗の繰り返しであった。しかし、成功するテクニックを教えれもらえなかったことが、反対に、石器の加工を理解するために必要な通り道であったと、今は、感謝してる。
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