黒曜石が敲けたからと言って [今迄の事]

 「やっため考古」の基礎となっている言葉に、「黒曜石が敲けたからと言って、石器が作れると思うなよ。」がある。

 それは、黒曜石の敲き方を教えて頂いて間もなく、YM先生が、薄緑色の緻密で硬そうな石を差し出して、「佐久の知り合いから貰った珪質頁岩だ、敲いてみろ」と差し出された。しかし、知識も自信も全くなく「こんな硬そうな石はまだ敲けない」とお断りしたが、先生は敲けない事を承知の上で、「とにかく敲いてみろ」と手渡された時に言われた言葉である。
 今でも記憶に新しいが、その時は、言葉の意味を全く理解できなかった。

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 <頂いた時に敲いた珪質頁岩の剥片ではなく砕石。>

 その後、土器や石器を少し作れるようになった時、舞い上がり、どうだ、どうだと有頂天になったことがある。
 今思えば恥ずかしいが、これを、「他人の知恵を借りて、少し物作りが出来たからと、自慢するようなみっともない真似はよせ」、一回や二回作っただけで、その土器や石器を理解する事は難しく、うわべすらまねる事ができない。
 縄文人は色々な粘土を使って土器を作り、旧石器人や縄文人は、色々な石材を使って石器を作っている。産地が異なれば、粘土は扱いが異なるように、黒曜石は黒曜石の難しさ、頁岩は頁岩の難さや課題がある事を知ることが大切である。
 考古学的な追及でも、美術的な追及でも、奥が深くこれで終わりのない、いわゆるエンドレスの世界である。少しできたからと言って、慢心するなと教えて頂いたと今は解釈している。

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 <何年か後に、残っていた剥片を加工して、珪質頁岩の難しさを改めて感じた。>

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