土器作り教室に参加するまで(2) [今迄の事]

職人気質と多芸はオヤジのDNA
オヤジは、信州鋸の職人で、損得抜きで、自分が納得するまでやらないと気が済まないという職人気質を見て育った。オヤジは、本業以外に、田畑の耕作、山の手入れや炭焼きは当たり前の事として、その他、大工仕事、土壁塗り、コンクリートの工事、屋根の修理、石垣積み、植木の手入れなど器用にこなし、手伝わされた。その時は嫌だったが、大人になって生業にも、土器作りや石器作りにも役立っている事は多い。何にでもやりたがり、しつこくやるのは、オヤジのDNAを引き継ぎでいるためかもしれない。

心残り オヤジから教えてもらっておけば良かったと、悔やんでいる事がある。それは「鍛接」である。鉄と鉄をつなぐとき、鉄を重ねてオキの中に入れて加熱し、火色を見計らって、金敷(かなしき)の上に出して叩いて繋ぐ方法である。この作業で難しいのは、鉄が溶ける寸前まで加熱することである。温度が足りないとつながらないし、高すぎると燃えてしまう。温度計は無く、適切な指導と経験しか習得する方法がない職人技である。
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<赤錆びで欠けているが、オヤジが作った両刃鋸。刃の部分の鋼と柄の部分の軟鉄を鍛接でつないである>

生業 鉄に触れることが好きで、仕様書や図面を見て、工作機械を組み立てて動かす仕事をやっていた。日本工業規格をもとに、長さや重さなどは数値で表し、誰でも理解できる「用語」を使い、誰でも同じ物を作れる「図面」に囲まれて働いていた。長さの最小単位はミクロンであった。

考古 オヤジが骨董品を集めていたことや、先祖について調べていたことから古い物には興味があった。しかし、「縄文土器作り教室」に参加するまでは、考古の知識は全くなかった。考古の色々な事を調べる中で、同じ事を表す「用語」が複数存在することや、物の量を表す「夥しく」や「累々と」など抽象的な表現をどのように理解すれば良いか戸惑いを感じた。

生業と博物館 試運転や修理に出張した時、余暇を利用して、最寄りの博物館を見学した。倉敷考古館でみた南米の土器や、岡山県立博物館の大きな甕棺が印象に残っている。
 岡山に出張した時、昼休みの暇つぶしに、裏山にあった神社を見に行き、畑の石垣の上に、灰色のきたない瀬戸物らしきものが捨ててあるのが見えた。少し離れた所で、おばあさんが畑を耕しており、これはなんですかと聞いたら、「耕したら出てきた、欲しかったらあげる」と言われ頂いてきた。後日調べた結果、瀬戸物ではなく須恵器であった。

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<頂いてきたほぼ完形の須恵器>

知らなかったとはいえ、今さら返す訳にもいかず、興味本位で集める罪の典型的な例であると反省している。
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