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黒曜石鉱山への遊歩道と鷹山断層 [まなぶ]

4月に開かれた「ミュージアム友の会」の総会終了後に、恒例行事の、「星糞峠」を経て黒曜石の縄文鉱山に登る遊歩道の枯れ枝拾いを行ったとき、地質の講座で「鷹山断層」の話が出たとき、先生に、星糞峠の黒曜石が、鷹山断層を挟んだ反対側の霧ヶ峰から流れてきたとする、信じられないような説が有るとお話したところ、その話は、地質学上不自然なところがあり、あながちその考えは間違っていないかもしれないと、想像していなかった返事が返ってきたことを思い出した。

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もう少しで「星糞峠」。どこに行っても黒曜石が採れる山は急坂で息が切れる。

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鉱山遺跡は保護シートの下に眠っていた。

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物見岩から見た「ブランシュたかやまスキー場」。この方向から黒曜石が流れてきたという。

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一番低い所に「鷹山断層」が走っているという。何回も来ているが足元に断層が有るという意識は無かった。

デイサイトの大泉山 [まなぶ]

地質講座の第4回 「八ヶ岳火山は茅野の大地をどの様に誕生させたか」の中で「大泉山」・「小泉山」についての説明があった。
 八ヶ岳西麓が八ヶ岳の火砕流などで覆われている中、この二つの山は異質の岩石で出来ており、以前から興味が有り何回か行った事が有る山である。茅野市史の自然編には「大泉山」は「変質輝緑岩」であるとされているが、今回の地質図には「大泉山」は「デイサイト」(流紋岩)と記されており改めて現地を観察して来た。

 ちなみに、茅野市の中央部に位置する二つの山の呼び名は、「おおずみやま」・「こずみやま」で、「でーらぼっち」が天秤棒で担いで来て一休みしたら根付いてしまったという伝説がある。
 また、デイサイトとは、火山岩を珪酸の成分量で分類すると少ない方から、玄武岩・安山岩・流紋岩の順になり、デイサイトは、安山岩と流紋岩の中間の石で、デイサイト(安山)、デイサイト(流紋岩)と記されることもある。色は、噴出時の条件により異なるようである。

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大泉山の遠景。この山全体がデイサイト(流紋岩)であるとの説明を受けた。

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デイサイトの大泉山を柳川が削って作った多留姫(たるひめ)の滝。直ぐわきに多留姫神社があり、昔は藤の名所であった。一時荒れていたが、今は手入れがされて驚くほどきれいになっている。

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デイサイトが板状に崩落している。

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多留姫の滝の直上で大泉山西側の頂上。デイサイトの露頭がある。
晴れていればこの方向に富士山が見えるはずである?

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少し風化している。

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崩落した石を割ったフレッシュな面。灰色でいかにも硬そうに見える。

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観察の途中でかわいらしいスミレを見つけた。

糸萱火砕流の黒曜石(2) [まなぶ]

 「糸萱火砕流」で採取した黒曜石をさっそく洗浄してみた。
冷山の黒曜石と認められるものは5個。残りは今まで見たことがないゴマ塩の黒曜石であった。

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黒曜石と認めれれる5個。冷山から5㎞流れ下っており、通常は角が取れ丸くなるなっていると想像されるが、何故か、原産地の直下の石のように角張っている。

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ゴマ塩のような黒曜石モドキ。(なんとかオブシデアンという名称が有ったような気がするが忘れた)

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ルーペで見ると、角張った小さな黒曜石を流紋岩がつなぎ合わせているような感じである。
風化が進んでいるのか結合度が悪く触るとボロボロ欠け、観察中に「チック」と黒曜石特有の刺さった痛さを感じ、指でも黒曜石であると確認できた。

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この面には黒曜石特有の光沢があり、側面に流離構造もみえる。

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04年に冷山の露頭で採取した原石。良質な部分と粗悪な部分が板状に交互しており、旧石器人は良質で厚い部分を使用して石器を作っていましたが、夾雑物が多いため縄文の小型の石器には不向きで縄文時代にはあまり使われなかったようである。

 今回の黒曜石探しは、頭上にせり出した石が今にも落ちてきそうで、ビクビクものの観察で、車に戻ってから、この火砕流をていねいに調べた地質学者は勇気があるとつくづく感心した。

糸萱火砕流の黒曜石(1) [まなぶ]

地質講座  『諏訪の大地の成り立ちを学ぶ』で教えて頂いた「糸萱火砕流」が食む冷山の黒曜石を観察してきた。場所は、国道299号が渋川を渡る「渋川大橋」の直下である。

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橋の手前を左折し坂を100m程下った所で車を降り対岸をながめた。しかし、大きな礫層の下に赤みを帯びた層、その下に赤土らしきものが見えたがどれが糸萱火砕流か良くわからなかった。

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対岸に渡り滝の脇を川原に降りた。木陰の下に小さく写っている釣り人と崖の高さを比較していただきたい。

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糸萱火砕流の堆積層は脆く深くえぐれている。

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糸萱火砕流のアップ。

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糸萱火砕流の上に1mを越える大きな石もせり出しており、今にも崩れそうでこわい、しかも足元はグチャグチャですべる。

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ハラハラしながら探したが、堆積層からは見つける事が出来なかった。そこで崩落した所を探して、ようやく中央に写る1㎝ほどの小さい黒曜石を見つけた。

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採取した冷山産の黒曜石と黒曜石モドキ。
洗浄の結果は(2)で報告したい。


地質の講座 [まなぶ]

 東日本大震災から2年目の3月11日までに4回開かれた、『諏訪の大地の成り立ちを学ぶ』プレート運動にかかわる断層活動と火山活動、という公民館の講座を聴講しました。

 内容は
 第一回:「日本列島はどのように誕生したか」
  プレート運動にかかわる東日本太平洋沖地震と東南海地震。
 第2回:「諏訪の大地溝帯はどのように誕生したか」
  地溝帯内の岡谷・下諏訪の大地。
 第3回:「霧ヶ峰火山はどんな活動をしてきたか」
  諏訪湖の地下構造と温泉の恵み。
 第4回:「八ヶ岳火山は茅野の大地をどの様に誕生させたか」
  諏訪盆地形成までの大地の地史。

 かなり専門的な内容でしたが、茅野市は「糸魚川静岡構造線」いわゆるフォッサマグナと中央構造線が交差しておりいつ大地震が起きてもおかしくない場所であるため市民の関心も高く、募集定員が20名であったが、希望者が多く50数名と大盛況であった。

 地震も関心はありましたが、土器作りと石器作りから、火山と黒曜石の関係、降り積もっている赤土(火山灰質粘土)について知りたくて参加しました。

 黒曜石の話として、原産地である星ケ台の下を流れる、観音沢の堆積層の中に黒曜石が露出していること、糸萱火砕流の堆積層の中に冷山の黒曜石を巻き込んでいることを知り、もう少し暖かくなったら確かめに行くことにしています。

 火山灰は、木曾の御嶽山と甲府市付近を結んだラインを中心に、軽石(パミス)の層が約40センチ堆積しており、茅野市は中心から外れているため約20センチとすくなくなるとの説明を聞き、以前から、東京方面に車を走らせると、富士見町・北杜市・韮崎市と進むにつれて、パミスや赤土の層が厚くなると感じていましたがこれで納得し、山梨県に大型の土器が沢山ある理由も理解できるような気がしました。

 講師の先生が立派な学者先生であるにもかかわらず、「学者先生は、こう言っているが・・・」や、会場の質問に対して、「それがなー良くわからーねーだよ」と、ご自身の踏査調査をもとに、未知の部分が多いことを話され、考古学の単位は何百年だが、講義の中で出てくる単位は何万年、考古学にもロマンがあるが、地質学の「ロマン」は桁が違うと感じた四日間でした。

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